その猫を、ミヤ、と名付けたのは恭一だった。
理由は単純で、鳴き声が時折、妙にはっきりと「みや」と言っているように聞こえるから、というものだった。
はじめは「安易」だとか「センスがない」などと言っていた今ヶ瀬も、そのシンプルで気取らない響きが案外気にいりもして、いつのまにか定着した。
ミヤが二人のもとにきたのは、一昨年の夏、猫を飼いたいと今ヶ瀬が言いだしてから、ひと月ほど経った頃だったろうか。
折よく、恭一の部下の知り合いで、仔猫の引き取り手を探しているという話が舞いこんできたのだった。改めて恭一とじっくり相談した結果、その黒い毛玉のかたまりのような猫は、二人の家にやってきた。
恭一と今ヶ瀬からの愛情を一身にうけ、今やミヤは立派な成猫となった。どちらかというとクールな性格で、餌をねだるとき以外は、飼い主であってもやたらとすりよったりしない、自立心の強い猫である。
しかし、今。夕飯の片付けを終えた今ヶ瀬が居間に戻ると、テレビを眺めながらごろりと寝転がっている恭一に、ミヤがぴたりと寄り添っている。
基本的に、恭一はミヤをかまわない。ミヤがそばにすりよってきたときだけ、まるで壊れものにさわるように、ゆっくりと優しく撫でる。その距離感と撫で方がたまらないのか、ミヤは恭一に、いっそ妬けるほど懐いているのである。
今ヶ瀬はそんな、まるで蜜月状態の二人(一人と一匹)を、冷ややかな眼差しで見下ろした。
普段は恭一と二人で、ミヤをたいそう可愛がっているものの、こんなときは、恭一という一人の男を、ミヤと取りあっているような気持ちになる。
そういえば、ミヤはオス猫だったな、と今ヶ瀬は思う。その点では、メス猫よりは安心——なにが、と言われれば説明は難しいが—— といえた。しかし、油断はできない。
なにしろ恭一は、本来ノンケであるにもかかわらず、いまやゲイと夫婦同然に暮らすような、元祖・チン軽の流され侍なのだ。
そう思いながら見ていると、恭一に優しく撫でられているミヤの眼が、まるで勝ち誇るように細められているような気もしてくる。
むっとしつつ、しかし、と今ヶ瀬は気を取り直した。
俺だって、恭一に愛されている(はずの)唯一の人間なのだ。存在自体の愛らしさという点では負けを認めざるをえないが、ヒトである分、猫のミヤより有利といえる。
なにしろ……喋れる。それに、猫には決して使えぬであろう、あらゆるテクニック——だいぶ往生際は悪かったが、かつてノンケだった恭一を陥落させたワザの数々——を駆使し、彼を気持ちよくさせることもできるのだ。
今ヶ瀬は、ひそかに勝利を確信した。勝機は我にあり。
そして、彼には一瞥もくれず喉をならしているミヤに、ふ、と余裕の笑みを浮かべてみせる。
今ヶ瀬は恭一に静かに近づくと、せーんぱい♪ と歌うような節をつけ、呼びかけた。そして彼の背後に寝転がり、その背中にはりつくように抱きつく。
恭一は、ん?と穏やかな声で答えながらも、身体はミヤの方を向いたまま、ゆっくりと彼を撫でつづけている。
そのままじっと無言で待つが、振り向かない。
今度は少し語気をつよめ、せんぱい!と力強く呼んでみる。恭一の腰に腕をまわし、ぎゅっと力をこめる。
すると、やっと恭一はくるりと振り向いて、今ヶ瀬の身体を抱いてくれた。くつくつと笑いながら、お前ねぇ、とすこし呆れたような、可笑しげな声でいう。
「猫にまでヤキモチ妬くなよ」
「べつに」
そのまま恭一にしがみつくように抱きついていると、ふいに顎を持ち上げられ、口づけされた。ふいうちのキスにわずかに驚きながらも、彼の背中に手をまわして応える。
唇を離した瞬間、恭一と目が合った。先輩、と言おうとするが、すぐにまた唇をふさがれる。今度はもっと、深い口づけだった。
恭一の手がTシャツの裾から忍びこみ、いつもより性急な動きで這う。彼の指に触れられた箇所がたちまち熱をもち、身体が無条件で反応する。
いつのまにか、ミヤは二人から離れ、キャビネットのうえに避難していた。そして、もどかしげに服を脱がせあいはじめた飼い主たちを見下ろして、呆れたように一声、鳴いた。
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