黒柳徹子さんが、作家・森茉莉との思い出について語ったエッセイを読んで、以前、購入したものの完読できていなかった森茉莉著・早川暢子編『貧乏サヴァラン』を読んでいる。
森茉莉といえば、作家・医師・官僚と多数の肩書きをもっていた森鴎外の長女で、昭和初期にはまだめずらしい、男性同士の恋愛小説を書いた人だ。その耽美で贅沢な世界観に惹かれて、前述の随筆集を手にとったのだけれど、「貧乏」なんていっても、元々はお嬢様なのだし、言葉の綾のようなものだと思っていた。
そんな先入観を浅ましく思うほど、黒柳徹子さんの文章からは、晩年の森茉莉の相当な逼迫ぶりが窺える。同時に、そのような生活環境にありながら、生涯にわたって独自の世界観と美意識を保ちつづけた彼女の思いの強さ、作家としての凄みがひしひしと伝わってくる。
皮膚にふれる水(又は風呂の湯)をよろこび、下着やタオルを楽しみ、朝おきて窗をあけると、なにがうれしいのかわからないがうれしい。歌いたくなる。髪を梳いていると楽しい。卵をゆでると、銀色の渦巻く湯の中で白や、薄い赤褐色の卵がその中で浮き沈みしているのが楽しい。
森茉莉「楽しむ人」より(森茉莉著・早川暢子編『貧乏サヴァラン』)
黒柳徹子さんの「茉莉さんは、現実のちっぽけな切れ端のようなものからでも、美の大聖堂を築き上げられる、本当に、稀有な芸術家だった」という言葉に頷くとともに、どこまでも過去の記憶と理想の世界に生きつづけた彼女に、敬意をもって付き合われていたのだろう、黒柳徹子さんの人柄にも胸をうたれたエッセイだった。



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