『あなたは欠けた月ではない』『実りの庭』/光野桃


数年ぶりに読んだ、光野桃さんのエッセイ。

はじめて彼女の著作を読んだのは10年以上前で、そのうちのいくつかの本は、引っ越しを重ねてたくさんの本を手放してきた今でも、手元に残してときどき読み返すほど好きな本だ。

それらの本は当時、30代から40代の頃の光野さんが書かれたもので、今回読んだ二つの本は、50代を迎えた光野さんが書かれたもの。

自分よりもずっと歳上の方に対してこんなことを言うのも不遜だけど、「なんて不器用な人だろう」と思う。不器用で、痛々しいほどまっすぐ。

たぶん、嘘をつけないたちの人なんだろう。こんなことを書いてもいいのか、本人が読んだらショックなのではないか、とびっくりするようなことも書いてある(夫以外の美しい男に恋をしたこと、憧れていた方に久しぶりに会ったら素敵じゃなくなっていて悲しかったこと、娘さんとの関係のことなど)。

光野さんも、ご自身のことを「パワーがありすぎ、思いがありすぎ、自家中毒を起こす」(あなたは欠けた月ではない、p.166)と仰っていて、その過剰なほどのパワーが、周囲の人や、光野さん自身を傷つけてきたようだった。

失礼を承知で言えば、光野さんみたいな性格の人が身近にいたら、すごく疲れるだろうな、と思う。それでも、私が光野さんの作品に心を打たれるのは、彼女の文章がとても美しいからだ。

美しいといっても、華やかな印象があるとか、装飾的な文章だという意味ではなく、読み手に対して真摯に語りかける姿勢というか、痛みと引き換えにまっすぐに心を差し出している感じがあって、そんな血の通った言葉の一つ一つが、とてもあたたかくて美しいと思う(そのあたりは、作家の雨宮まみさんにも似た印象がある)。

久しぶりに光野さんの近影をネットで探してみたら、白髪交じりの髪を短く刈り上げておられて、パールのピアスと黒縁眼鏡、赤いルージュをひいた唇がとても素敵だった。なんというか、「嵐をくぐり抜けてきた人」という感じの、はればれとした美しさ。

これまでの光野さんの写真のなかで、今のお姿がいちばん素敵に見えたことが、長年、光野さんの文章を追い続けた一読者の私にとっても、すごく嬉しいことだった。

最後に、印象に残った一文。

十代、二十代も、それなりに面白いことはあったようにも思うが、やはり三十歳からの妙味にはとても及ばず、しかし、そんな光と影に彩られた味わい深い時間も、たった二巡りでもはや熟年、老後が視野に入ってくる。まったく生きるとは旅をするごとくである。(実りの庭、p.227)

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